社会の窓
調印した日韓条約
野口 肇
pp.64
発行日 1965年9月10日
Published Date 1965/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203467
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1956年6月22日,日,韓会談,正式にいえば,日韓基本条約,協定議定書が,日本と南朝鮮の両当事者の手で調印をみました.調印の場所は永田町にある首相官邸のホール,その窓のそとでは「日韓会談ふん砕」をさけぶデモと24名の警官隊がむかいあっていました.おなじ時刻,南朝鮮では首都ソウルをはじめおもな都市で「対日屈辱条約」反対をとなえる青年,学生,市民の群れにたいして武装警官がコン棒をふるい,さい涙ガスをなげつけていました.そのデモの先頭と後尾には,ガスでやられた眼を洗うための水をいれたバケツをもって,女子学生も多く加わっていました.また野党(といっても日本の社会党などとちがい,いわば保守系の不満分子にすぎないが)である民衆党本部では,7月国会にこの条約の批准が上程されたら総辞職で阻止すると決意をかため,あつまった市民といっしょに気勢をあげていました.そのため,日本政府もそうでしたが,南朝鮮の政府・与党は,いっさいお祝いを自粛しました.ながい懸案だった「日韓国交正常化」がやっとできあがったという,ほんらいなら旗行列ぐらいやってよい日なのに,まるでコソドロのようにひっそりしていたのです.
そうして調印された条約や諸協定の中味はなにか?
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