わたしの分娩
助産婦さんは殺人的に多忙—病院でお産をした母親の手記
栗原 ヨシ子
pp.42-43
発行日 1964年2月1日
Published Date 1964/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202699
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昭和35年6月,私はON病院で長女を産んだ.予定日より半月近くもおくれたため,人工的にお産を早める方法を,こちらがのぞんで入院することになった.初めてのお産にあらかじめ本などを読みあさり,いちおうの知識はつけたつもりではいるものの,やはり未知のものへの不安はつよかった.予約しておいた2人部屋があいにくいっぱいとかで5,6人ばかりいる病室へはいったが,病院へ入院するなど生まれて初めての経験で,それに思ったよりさくばくとした病室の雰囲気に,ますます心細さがつのるようだった.翌日,陣痛をおこすためののみ薬をのんだがきかず,つぎの日にメトロとかいう処置をされた私は,それから3日3晩のまず,食わず,眠れずの苦しみを味わった.何かされたということはわかっているが,それがどんなことか,どういうことが自分の身におきてくるのかが説明抜きでやられるため,不安はいっそうつのった.後日子供の病気などで医者と接する機会も多くなって,しみじみ感じることだが,こちらが根ほり葉ほり聞かない限り,医者は病気の状態,治療の経過など教えてくれない.なかには聞かれることに露骨に顔をしかめる先生もある.病気のことは医者にまかせろということなのかも知れないが,やはりどの程度の病気なのか,どう治っていくのか教えてほしいものである.それが,いっそう病気と戦う気がまえと希望を患者にあたえるのではないだろうか.
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