インターホン
助産婦開業して/新生児室勤務に当たって私の感じたこと
松元 サヨ
pp.44-45
発行日 1964年2月1日
Published Date 1964/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202700
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伊平屋は1959年末,心のむくままに住民の心を思いうかべてひきずられるままに当地へ渡り鳥のように流れて来ました.「心して旅立ちませし身なれど,闇をおそれぬめしいににたり」と思われる伊平屋村は東経128度・北緯27度の中間に位し,沖繩本島の北方那覇を去る58里,本部より27里,国頭西方18里を隔て伊平屋島と野甫島の2島よりなり,周囲1里山なく,やや平坦の丸い島で僻地に勤務する人のみが味わう事のできる情緒である.周囲の山河草木は人の心をなぐさめ,また感傷的に詩歌にしたしむ感情になる.自然の美しさに何物をも忘却することのできる日もある.40代の私にはこの島は健康に恵まれなくては村民のニードに十分に答えるだけ活動できかねる.しかし戦争中の苦難な道を克服し,看護勤務を遂行した私たちには今は「戦前の苦労の万分の一にも値しない」と苦しい時,淋しい時自分をなぐさめて勤務遂行に努力している.離島なるが故に言葉も異なり,2,3か月の間,子供たちとたわむれ,島の言葉になれるのに心を悩まし,早く理解するように努力したかいがあって,今では「チヤービラサイ」と声をかけて人を訪うことも苦にならない,行きかうハンシー,タンメーにも話せるようになって今では伊平屋ンチユーだといわれている.
僻地勤務して開業する私の仕事には,ちょっと想像できない重大な責任が双肩にかかっていることと思う.たえず勉強することに努めている.
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