インターホン
アメリカにおける母子看護
近藤 潤子
pp.37-39
発行日 1963年5月1日
Published Date 1963/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202539
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1957年11月,小児リハビリテーション看護研究のため渡米し,翌1958年,ボストン大学卒業,看護婦学士課程に入り,1960年,同大学大学院修士課程で看護教育と母子看護法を専攻し1962年帰国したが,限られた地域での短期間の研究で"井の中の蛙"であることはまぬがれないと思うが編集部からの御依頼もあり,知り得た範囲内で最近のアメリカの母子看護について報告させていただこうと思う.
助産婦業務については,総分娩数の大部分が医師によって行なわれるアメリカと,病院分娩も助産婦によって介助される我国とでは事情が相当に異なる.都市周辺の病院で大部分の分娩が産科医によって取り扱われるので,助産婦による分娩介助はほとんどみられず,その活動は山間僻地の無医村で行なわれる.米国の総人口に対する助産婦の数も少なくその養成は,アメリカ助産婦学会の発表によれば,全米で6カ所の助産婦養成所があたっている.看護教育を終了したものを6カ月間教育し終了証明書を発行するものと4年制の看護教育を終了して学士号を有するものに修士課程(マスターコース)として行なわれる二種がある.
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