インターホン
助産婦として働く母
宮崎 聖え
1
1東大助産婦学校
pp.39
発行日 1962年11月1日
Published Date 1962/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202438
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学生生活ももう残りすくなくなりました.その最後の休みを故郷の山村に過ごし,家族の暖かい団欒の中で,思い切り羽根を伸ばすことができました.この休暇の一つの収穫は,山村に開業助産婦として働く母を,同職業の先輩として見,話し合えたことでしよう.個人医院で手伝いをしながら資格をとつて20余年その間,新教育の講習も受けず,専門書らしい本も読まず,何百人の分娩を,新生児を取り扱かつている現実を,私は"冒険"だといいたいが,事故らしい事故も起さず,異常の時には,適当に処置をしている経験の偉大さを,しみじみ考えないわけにはいきませんでした.双生児の出産に際しては,世間に恥かしいから沐浴は家の者でやると家族からいわれ,年子で3人出産しまた妊娠したから中絶したいけれど,姑が財布を握つているから,思うようにならないと出産する人等々…….母は,たしかに科学的知識面からは,ゼロに等しいかもしれません.しかし,入院,分娩,退院というある一定の型にはまつた病院実習からは,学ぶことのできない人間関係の複雑さと各々の妊娠,産婦の生活環境,その中に持つ問題点,またそれを形作つている要素を把握しないかぎり,真の助産婦の仕事はできないのではないかと,母の話す数々の症例から再認識させられるのでした.
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