解説
産婦人科から何故産科を切り離したか
澤崎 千秋
1
1日大産婦人科
pp.29-32
発行日 1959年12月1日
Published Date 1959/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201809
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その訳を本誌の編集部から書く様に依頼されたのは何故か.勿論多くの婦人科医は,産婦人科から産科をきりはなす事をのぞんでいるのであるが,その実現にはいろいろの困難が伴つているので,依然として産科と婦人科とが同居している病院が多い.従つてこれを実現出来た事をお知らせするには何故切り離したか,その理由をお話すると同時に,特に何故それが実行できたか,その事情を説明しなければならない.その為には本学の成り立ちと,私が赴任してからの経過とをありのままにお知らせするのが最もよいと思う.
日本大学医学部附属病院は駿河台と板橋と2カ所にある.駿河台が先で,ここに大正15年5月17日に現在の病院が設置されたのであるが,その後発展して156床ではどうにもならず,かたがた教育施設の拡充を目的として,昭和11年10月5日に川越街道に沿うた現在の場所に,基礎医学の教室と同時に631床の病院が設置された.
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