講座
助産院の出来るまで
佐藤 ハルノ
pp.6-11
発行日 1956年3月1日
Published Date 1956/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201014
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はじめに
じつと耳を澄しますと,今でもあの幾たびかの空襲の時,京浜工業地帯への所謂じゆうだん爆撃のとばつちりを受けて,くり返しくり返し落ちてくる焼夷弾のゴウゴウという風を切る音や,燃えさかる火煙のうなりが,遠く不気味に,しかしはつきりと聞えてきます.また,目をつぶれば,サーチライトに照らし出されてあがきながら逃げてゆくB29の大きな図体や,焼夷弾の直撃を受けて,火煙に包まれてゆくわが家のいたましい姿が,今でもまざまざと思い出されてきます.
けれども,あの時は,20年近くも住みなれたこの土地の,さゝやかなわが家なればこそ私達家族5人の者達は恐ろしさも忘れて力いつぱい消し止め延焼からもわが家をまもりぬく事ができたのでした.
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