若き母の手記
叔母への手紙
千葉 八眞子
pp.28-29
発行日 1953年11月1日
Published Date 1953/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200479
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叔母様.しばらく御無沙汰致しましたが,その後如何お暮しでしようか.あまり長いことお手紙を差上げずに過してしまつて,何から申してよいかわからなくなつてしまいそうです.なんて,ずい分大ありのようですが少しずつお知らせします.何年もの間村から離れてお暮しの叔母様は,きつと,自分の生まれた村のようすはあそこここといつただけではわからなくなつて居られるかも知れませんね.叔母様が育つた頃の人人はもういなくなつたりずつと年寄つたり,それぞれ変つているのと同じように,村としての歩き方も隨分変つてきました.一つは山奧のぶんぶく茶釜で知られている正法寺にもバスが通るようになつた事です.山と山とに囲まれた黒石にも毎日参観人がやつて参ります.和尚きん方もここを修養の場として各県から集つて勉強を積んでおられるようです.
それから叔母様にお伝えしたいことは,7月岩手県で唯1カ所の助産所が私達の村に建設されたということです.それは黒石の中心地ともいうべき私達のいる鶴城部落で,家からは5分とかからない,川べりに添うた町はずれに南前方遙かに束稻の山を望み,西は北上川をへだてて遠く奥羽の連山,東と北に北上山系の左自然の屏風に囲まれたとても静かな場所に建坪57坪の,眞白いペンキでぬられたきれいな建物です.お産をする人達は豫定日が近づくとこの助産所へ入所します.隣村からも沢山来ます.
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