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ある手紙
宮下 喜代
pp.42-43
発行日 1954年12月10日
Published Date 1954/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200863
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久しぶりで御手紙を拜見しました.おだやかで仕合せな生活をたのしんでいらつしやる筈のあなたがやはりそのこころのうちでは,もえるように世の中のいろいろな矛盾について考えていらつしやるのだと思つた時,私はなんともいえない感動にうたれたのでした.はげしい戰爭の苦痛に堪え,戰後のインフレに精一杯の抵抗をしながらそれでも私たちはこれから平和な社会の中でくらせるのだとどんなによろこんだことだつたでせう.あなたも私も"過去を未来に生かす"よろこびにあふれてひろびろとした自由の自然の中におどり出して行つたのでしたがいつの間にか私達の立つている所はひどくせまい道になつてしまつているようです.
"たとえ我死の影の谷をあゆむともわざわいをおそれじ,我と共にいませばなり"と旧約の詩人がうたつたのはどんなに単純で大らかな時代に生きた人の勇気であろうかを私は驚歎のおもいをふかくするばかりです.いまの私たちの時代! ひとりの人の運命はその人が属する限階層の他のすべての人々の運命であるということはだれでも知つていることなので,常に階層と階層とは力をはりあい,全力をかたむけて力のバランスの上に不安定な安定をたもたせようとする不思議な努力をはらつているのでしようか? 私はそこにもう平常な人間のあり方などはどこかえ行つてしまえというような盧無的なものをさえ感じます.
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