邦樂への道・3
箏曲の流派
唯是 震一
pp.57
発行日 1953年8月1日
Published Date 1953/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200421
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もうすでに読者の皆樣がよく御存じのように,箏曲といえば,生田流と山田流があるのです.ところがその流派が何のために分派しているかについて御存知の方は僅少のことと存じますのでこの両派を歴史的にさかのぼつてみることにいたしましよう.現存し又隆盛をきわめている箏曲の流派にはもちろん前述の生田と山田の両流派だけではありますが,この両派の他にわずかに九洲地方の一部だけに筑紫流という流派が現存しているのです.ですから現存する流派は生田流と山田流と筑紫流の三流派というわけになります.
前回に申し述べましたように箏の起源は遠く中国の秦の始皇帝時代にさかのぼつて求める事ができるわけですが,わが日本のいわゆる箏曲という一派をなした時代は鎌倉時代なのです。すなわちそれ以前平安時代には雅樂の箏が,京都の公郷達によつてたしなまれていましたが,鎌倉時代に入ると雅樂の箏は次第に俗樂の箏へと移り九州地方で筑紫樂が起り,足利時代に箏曲樂として発達し,独立して筑紫流が抬頭してきたのです.これは前述しましたように今でも九州大分地方に残つています.
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