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堀辰雄の死
長谷川 泉
pp.51
発行日 1953年8月1日
Published Date 1953/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200418
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堀辰雄がついに逝いた.長い鬪病生活の連続であつた.彼は結核で死んだが,発病は「ルウベンスの僞画」脱稿後のことであるから,殆ど一生を,そして作家生活のすべてを療養の中に築きあげたということができる.それにしても,彼の残した作品群はどんなにか世俗の中に清純の光をかかげることか.彼の作品は,「風立ちぬ」にしても「菜穗子」にしても,また初期の「聖家族」にしても「不器用な天使」にしても死後ますます熱烈な読者を獲得してゆくことであろう.
彼は東大国文の出身で,最初は詩人として出発した.彼の周囲には中野重治,窪川鶴次郞,西沢隆二等,後年プロレタリア文学の驍將となつた人達がいたことは奇妙な組み合せではあるが,この同人雜誌「驢馬」のメンバーはやはり新しい時代の動向を文学的にキヤツチしてゆくすぐれた知性の持ち主であつたことは否めない.堀はフランス心理主義を身につけ,飜譯に,また実作の上で,それを生かした.そして彼の姿勢はこのフランス文学のエスプリを美しい文章と沈潜した知性の中に生かしたのである.「かげらうの日記」「姥捨」「ほととぎす」など王朝時代に取材した作品にみられる心理解剖のさえを見よ.
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