インタビュー
宮誠県助産婦部会長 五十嵐とまをさんを訪ねて
山口 セツ子
pp.48-51
発行日 1953年4月1日
Published Date 1953/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200329
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宮城県の助産婦都会は,会長五十嵐とまをさん,副会長に相沢志づさん,阿部やちのさんのお2人,書記に丹野ちかさんなど品格にみちた幹部の方々の協力と指導で,全国稀にみる3人の和を得た強力な組織ができ,約8百の会員をかためておられます。幹部の人人の古くからの献身的の努力がこの会をゆるぎないものにしていますが,とりわけ五十嵐さんはその支柱として,古く戰前の時代から今日までずつと長く会長として活動されているばかりでなく,土地の人の信望を集めて,五十嵐さんの名は仙台で誰知らないものはありません。
仙台の新名物,スポーツ殿堂のレージヤー・セーターが眞正面にそびえている元寺小路の左例に,五十嵐産婦人科の新築白亞の建物が人の目をひく。元寺小路という京都風のゆかしい名前にはなつていますが,向い側には新しいホテルも建ち,古い仙台の町のおもかげは既になく,仙台のビヂネスセンターの一劃,東京でいえばまず神田というあたりでしようか。
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