横顔拜見
業界の大先輩柘植あいさん
小林
pp.43-44
発行日 1952年3月1日
Published Date 1952/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200068
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靜岡縣の産さんだ女傑2人と云えば,女醫に吉岡彌生,産婆に柘植あいさんの2人を擧げねばならない。何れも明治,大正,昭和の三代を通じての傑物で,今なお兩人とも,90歳に近い高齢で矍鑠として,1人は祖師ヶ谷町から,;1人は椎名町の一角から,目をみはる進歩を眺めている。
助産婦界・看護婦界の大先輩で功勞者である柘植あいさんは,昨冬11月18日千代田區富士見町の東京都助産婦會館で,在京助産婦有志が發起で盛んな米壽の祝賀會が催された。席上,柘植さんは助産婦生活60餘年を顧みて「明治23年獨逸から歸朝された濱田玄達先生(千代田區駿河臺濱田病院の創立者)によつて創設された東京醫科大學第一醫院産科學教室内産婆養成所(現在の東大醫學部助産婦復習科)の第1回卒業生で,同期生は40人からいたものが,現在は私の外に1人か2人位しか生存していない。産婆の免許は今と異つて,内務大臣品川彌二郎子爵から頂いたもので,取上げ婆さんの勢力が大した時代だつた爲め,随分苦勞をしたものです。今日米壽のお祝いを催され過去64年の産婆生活をふりかえて感慨無量です」と,述懐されたという。
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