発行日 1952年1月1日
Published Date 1952/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200003
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抑々助産行爲は明治7年醫制が始めて制定されたときには,醫師の業務として規定してあつたのでありますが,その後,わが國の實情から産婆の教育が普及徹底するに及んで,明治32年産婆規則を制定され,産婆という制度が設けられ,この人々に醫業の1部である助産の仕事が委せられるようになつたのでありますが,爾來この制度はわが國の社會一般の情勢に合致したため,年とともに益々發展を示し,今日においても,わが國の出生の大部分は助産婦の手によつて取扱われている實情であります。
申すまでもなく,助産の行爲は母子の生命をあずかる重大な職責でありまして,全國山間僻地に至るまで分布活動している助産婦の1人1人の知識,技術にかけることがあつたら,その母子保健に及ぼす影響は甚大であつて,そのことはひとりその取扱いを受ける母子の不幸のみでなく,國家社會に及ぼす損害も圖り知れないものがあるでありましよう。特に近時醫學の進歩は日進月歩でありますので,助産の行爲に携わる者と致しましても益々深い學識と高い技能とを要求されるに至つたのでありまして,先般舊助産婦規則が廢止され新たに保健婦,助産婦,看護婦法が制定され,助産婦の資質の向上が圖られたのも,このような世運に對應して,國民の保健衛生の向上を圖るが爲に外ならないのであります。
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