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「帆花」(監督/國友勇吾)は,生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された娘・帆花(ほのか)と母・西村理佐,父・西村秀勝の日常に密着したドキュメンタリー.理佐さんは,帆花さんから「いのちとは,生きるとは,ただ“そこに在るということ”であり,そのかけがえのなさこそが“いのちの重み”であることを教えられた」(本作パンフレット)と述べているが,作中,ポロッと「世界の中に私と帆花の二人っきりみたいな気分になる時がある」,「私のやってることって意味あるのかな……と思うこともある」とも語っている.これこそ本作の万人への問いである.果たして,帆花さんのような重症児を育てることの意味とは.障害児教育実践者の一人である筆者にも,答える責任がある.
時あたかも『資本論』をテーマにした新書がベストセラー.1973年,筆者が大学4年の時に所属した教育学研究サークルでは,マルクスの『資本論』(1867)の一節「われわれが労働力または労働能力と言うのは,人間の肉体すなわち生きている人格のうちに存在していて,彼がなんらかの種類の使用価値を生産するときにそのつど運動させるところの,肉体的および精神的諸能力の総体のことである」(第1巻第4章第3節)のもつ意味を年間の研究テーマとしていた.このことが筆者の胸中で今更ながら帆花さんと結びつき,意味化された.すなわち,帆花さんのいのちと発達を,家族はもちろん,周囲の方がみんなで守ろうとするのは,高度に発達した資本主義下で培った思想,感性によるもの.資本主義社会で生きている私たちは,形式上,自身の労働能力を時間決めで売る.売る相手(企業)も自分で決めることができる.換言すれば,労働能力は売るが人格は売らない.資本主義社会以前の封建制社会,奴隷制社会では,人格も支配階級に隷属していた.資本主義社会では,労働能力に差があったとしても人格は平等,等価.資本主義は,弱肉強食,格差と分断を招くものの,人格の尊厳,人格権を生み出し,発展させもする.帆花さんには資本主義に宿る積極面,歴史の発展段階が投影されている.
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