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私が生まれ育った地域は熊本県球磨川支流の百済来川を挟んで所狭しと田畑がある山間の里でした.百済来中学校の校歌に「緑したたる朝まだき 流れも清き夕葉川 山ふところに集いして〜」とあります.「まだき」とは,その時になりきってないころを意味します.つまり,朝まだきとは夜が明けきっていない早朝のことです.山間の里ではよく見られる光景ですが,朝霧の向こうの山際から太陽が少し顔を出しているのに人里はまだ薄暗いのです.
日本に脳のCT画像が登場したころに私は理学療法士になりました.47年が過ぎようとしています.理学療法士になって10年目ごろに50歳台女性の脳卒中患者を外来で担当することになりました.そのころの診療報酬制度では脳卒中でも長期間の入院が可能でした.発症後,ある市立病院に1年半ほど入院して理学療法を受けていましたが,結局一人ではうまく立てず,歩くことは困難でした.週に1,2回の理学療法でしたが,1年半ほど経過したころには杖・装具なしで10mを12秒で歩けるようになりました.そのころの常識ではあり得ない改善です.間もなくして職場を変わり,患者も自宅近くの病院に通院することになったのですが,その5年後に再会した時には私が最初に見た彼女に戻っていたのです.再発はありません.担当者でいながら,初めて出会ったときからの一連の事象がなぜ起きたのか,私には理解できませんでした.CT画像は視床出血であることだけは教えてくれましたが,それ以上の情報を得ることはできませんでした.「脳は個別性があるから脳画像を見るのではなく,現象を見て理学療法を行うように」という空気が私たちを支配していた時代でもありました.理学療法士は現象を見て経験的にあるいは○○法の枠の中で対処していましたが,その現象がなぜ起きているのかという本質的な探究はしないままでした.そのころは「脳はブラックボックス」という逃げ道を教えてくれる表現もありました.しかし,脳卒中に伴う病態や現象の根本的な原因は脳の中にある,と言ってもよいでしょうから,脳の中で何が起きているのか考えていくべき課題です.この視床出血患者の担当経験から,脳画像と病態,さらには一定期間後の結果とを照合していく臨床活動を進めてきました.幸いに,それと並行するかのように脳科学からのメッセージが多くなり,原因を含んだ病態の説明ができるようになってきました.機能局在論からシステムとして働く脳を考える連合論への進展によって,患者にどのようにかかわればよいかも少しずつ見えるようになってきました.
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