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ロマン・ロラン(1866~1944)が1903年に発表した『ベートーヴェンの生涯』(片山敏彦訳,岩波書店)の序文では,彼が伝記を書いたベートーヴェン,ミケランジェロ,トルストイの三者に言及して,「ここにわれわれが物語ろうと試みる人々の生涯は,ほとんど常に永い受苦の歴史であった」,「彼らは試練を日ごとのパンとして食ったのである.そして彼らが力強さによって偉大だったとすれば,それは彼らが不幸を通じて偉大だったからである.だから不幸な人々よ,あまりに嘆くな.人類の最良の人々は不幸な人々と共にいるのだから」,「彼らの生涯の歴史の中に読み探ることは,―人生というものは,苦悩の中においてこそ最も偉大で実り多くかつまた最も幸福でもある,というこのことである」と,苦悩こそが偉大な創造の源になりうるという考えを示している.
特に,ベートーヴェンについては,「陰鬱な悲劇的な相貌」,「彼の習慣的な平素の表情は憂鬱」,「その眼が示している深い悲しみ」など,ベートーヴェンの抑うつ的な傾向を強調するとともに,「自分で呼び出した魔神たちの力に圧倒されている魔術師のような有様」,「往来を歩いている彼にとつぜん襲いかかって,通行人らをもびっくりさせた急激な霊感の発作」と,ベートーヴェンもまた,魔神(デーモン)の支配のもとで創造した人間であるという指摘がなされる.実際,ロマン・ロランは,ベートーヴェンが10代の頃について,「彼の健康はすでに絶えまなく悩んでいた.そして彼は自分の病気にみずから憂鬱症を付け加え,実際の病状よりもその憂鬱症の方がさらにひどかった」と語り,20代後半に陥った聴覚障害についても,「この悲劇的な悲しみは,その時期の幾つかの作品にあらわれている」として,彼の聴覚障害に伴う悲しみは,『悲愴奏鳴曲』や(作品第13番,1799年),『ピアノのための第三のソナタ』(作品第10番,1789年)を産み出したと語るなど,べートーヴェンの苦悩や障害と創造性の関係という病跡学的な現象に着目している.
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