追悼
一つのすぐれた個性の喪失
砂原 茂一
1
1国立療養所東京病院
pp.576
発行日 1984年7月10日
Published Date 1984/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552105212
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水野さんの訃がとどいた時,私はたまたま「ヒトの足」を読んでいた.そしていかにも水野さんらしい仕事だと思うと同時にその人間としての非凡さ,学者としての偉大さをあらためて再発見した思いであった.
整形外科と無縁な私は,水野さんのお名前を古くから知っていたわけではない.最初の出会いは昭和31年の障害等級調整研究会であったが,顔をまっ赤にして滔々とまくしたてられる姿にまず驚いた.同時に大変な仕事熱心で最後の段階になると,担当の厚生技官宅に夜襲をかけたり,その技官を会議の席上で一喝されたり……何しろ特異な存在であった.おかげでこの委員会は私の関係した多くの審議会の中でもっとも面白い,印象深いものとして記憶に残っている.その後理学療法士・作業療法士審議会に同席することになったが,委員のうちもっとも発言量の多いのは水野さんで,その長広舌と鋭い断定にブレーキをかけるのに,座長である私が少なからず苦労したものであった.リハ医学会の役員会の場合もそうで,大体学会の名誉会員というのはていよく雛壇に祭り上げられているものだが,水野さんがいるとそうはいかない.
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