追悼
小池文英先生の追悼
津山 直一
1
1東京大学整形外科
pp.766-767
発行日 1983年9月10日
Published Date 1983/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552105034
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小池文英先生には昨年秋より病まれた左側頸部扁平上皮癌のため7月24日朝,東大病院内科病棟に於て逝去67歳の生涯を閉じられた.我々はリハビリテーション界の先達であり,良きリーダーの一人を失わねばならなかった.先生は昭和14年東大医学部をご卒業後故高木憲次先生の下で整形外科をご修業,昭和17年5月高木憲次先生が畢世の仕事とされた肢体不自由児の療育のための東京整肢療護園を創設された当初より勤務され半生を捧げられた.昭和19年には陸軍軍医として応召トラック島に赴かれたが途中先生の乗られた輸送船は敵機の空襲にあい,撃沈され太平洋の波浪の中に泳がれること数刻,辛うじて味方駆逐艦に救い上げられたとの事である.ある時先生はその話しをされ,駆逐艦の低いと思った舷側の縄梯子をよじ登るのが如何に長く感じられたか,また敵の襲来のため尚洋上に泳いでいる戦友を見捨てて去らねばならなかった時の心苦しさを物語られたことがあった.トラック島でも空襲と戦後処理の苦労の2年間を過され昭和21年2月帰国されたが,お留守中に度重なる空襲のため療護園は創立わずか3年で灰燼に帰してしまっていた.
しかし先生は高木園長と共に療育の灯を消すことなく,療護園の孤塁を守り必ずもとの施設以上のものを復興しようと志を共にされ,事実焼け消せた療護園を再建,日本における肢体不自由児療育活動の中心的存在にされたのであった.
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