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はじめに
慢性腎不全末期の治療法として,透析療法が試みられた時代は極めて短期間であり,その効果が多くの人々により評価され,急激にしかも広範囲に普及を続けた.
わが国の慢性透析療法の普及の緒は,昭和41年頃からであり,大学病院や,大病院を中心として行われた.当時は透析器はすべてコイル型ダイアライザーであり,Travenol社製と,循研のもので,平板型ダイアライザーはまだ輸入されず,また国産化もされていなかった.従ってダイアライザーは高価であり,健康保険の診療報酬点数にも採用されず,極めて限られた人々が治療を受けているにすぎなかった.厚生省は,昭和42年5月には,まだ治験段階であるとの局長通達を出しているが,昭和42年12月1日の診療報酬点数の一部改正時に,人工腎臓として,920点として採用している.ちなみに,その時の虫垂切除術は860点であり,体外循環であるために,同点数を決めたものであろうが,体外循環は一生の間に何回もやられることはないが,人工腎臓による血液透析は週3回,年間になおすと150回も行われることがわかっていながら,新技術であるという理由と,透析療法に対する理解度が低いために,体外循環と同一点数が採用されてしまったものであろうと推測するが,御存知のように,その是正は昭和56年6月の改正で極端に走ることになる.いずれにしても,保険に採用されたとはいえ,手技料920点,透析器のコイルダイアライザーはツインコイルキドニイの時代で,20,000~35,000円と高価であることは間違いなく,しかもプライシングのために輸血を必要とすることなどから,透析療法受療者の医療費負担は極めて高額となり,負担金のない健康保険や組合保険の本人,医療保護などの公費負担の個人的医療費を支出しない患者に限られ,経済的条件も,透析療法施行の1つの条件としてみられた時代が昭和47年10月まで続くことになる.表1は筆者が昭和46年6月人工透析研究会を通して調査した.患者の保険分類であるが1),表2の昭和54年12月31日現在の人工透析研究会の調査結果2)と対比すると,上述したことが理解しうると思う.
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