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はじめに
私は昨年15年振りに欧州,特に北欧を訪ねた.目的は肺癌に関する国際学会に出席することであったが,私が20年前初めて理学療法士に出逢ったのもここ北欧の小パリといわれるコペンハーゲンであったし,また福祉が発達しているといわれているこの国を表からまた裏から充分観察し得る機会もあったので,一体どのように変ったかを見たいと思ったからでもあった.私の当時主として過し,またそこで初めて術後の管理を理学療法士(Physiotherapist,彼等はフィジオと呼び合っていた)と共に勉強した王立病院(Rigshospitalete)は建物こそ一新されたが内容はそう変ってもいない.また一度目を街中に向けてみても,一説ではハイウェーが町中を縦断し大変異なったように聞いていたがほとんど何の変りもなかった.私がデンマークのPT協会長やPT学校長に将亦WCPTの事務局長Miss Neilsonに手紙をタイプしていた下宿は昔のままであった.このように欧州はここ20年あまり変っていない.変ったと思うのは日本の欧州における立場ではなかろうか.ドイツのカメラ,スイスの時計は大半は日本製に変り,米国程でないにしても日本の車も目につく.昭和36年私が欧州にいた時今日のこの現状をどれだけ期待出来たろうか.変ったといえば変ったものである.20年前私が初めて出逢った理学療法士,作業療法士の姿,特にその養成教育に興味を持ち,資料を持ち帰り偶然にも2年後,私自身が勤める病院にその学校を併設するようになってから今日で17年がたつ.この間の欧州の理学療法士,作業僚法士はそんなに変らないのに我国の実状は大いに変ったといって過言ではあるまい.学校数の増加と共に学校教育法による大学(短大)による教育も始まったし,理学療法士協会は昨年秋創立15周年記念を迎え,更にアジア地区における協会設立に努力されようとしていると聞く.作業療法士協会も会員は近く1,000人台になろうとしているし,また念願の協会の法人化の問題も解決したと聞いている.身分法が出来てわずか15年にこの発展を誰が予想したであろうか.しかし先にも述べた我が国の経済的発展と比べられるものであろうか,これは残念ながらまだそこまでは到達していない.それは欧米には永い歴史がある.しかしそういっても色々な問題を含みながらやはり我国の理学療法(士),作業療法(士)は更に発達,変化して行くと思われる.そこでこの問題を一つ一つ考えながら教育の問題と将来の展望について言及したいと思う.
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