ひと
昭和54年度「高木賞」を受賞された 田村春雄(たむら・はるお)氏
水野 祥太郎
1,2
1大阪大学
2川崎医大
pp.481
発行日 1980年6月10日
Published Date 1980/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552104342
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何もかも手製のお粗末さであった.平行棒もプリーも.織機は農家の倉から引出して埃をはらったもの.創設初年度に高松宮の見えたとき,ふし穴から寒い風がびゅうびゅう吹き込んでいた.初度調弁費わずか600万円で理学療法も作業療法も活発に,ひとりひとりデータを揃えつつ運用が進められていった.田村博士ならではの頑張りのみごとさであった.
昭和一桁台,阪大へ実習にきたやじきた学生群鶏のなかに光る一鶴,これが私との接触のはじまり,ついで戦争中の陸軍工廠の外科同僚の交わり.ここで彼が当時めずらしい考古学に専門家ちかく打ち込み,蒐集品の整理のみごとさに驚く.戦後は阪大生化学から市大整形へと誘惑し,助教授とし,さらに私が主宰した職業補導所の一劃にリハ・センターを作って君を煩わすこととなる.生涯をかけてまでやり抜いて戴くとは,じつは予期しなかったことではあった.まじめさと熱中,整理と体系化の君に具わった力が,時と所を得たということであろうか.
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