巻頭言
ジェルンミーナの石
水上 勉
pp.789
発行日 1973年8月10日
Published Date 1973/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552102986
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イタリア映画の秀作「道」をテレビでみた.十何年も前に観たこの映画に,新しい涙を流したのは「石」についてである.少し足りないジェルソミーナに,小悪党の若者がささやく.「道ばたの小さな石も何かの役目をもっている.空にみえるあの星だって……」ジェルソミーナは足もとに落ちていた小石を拾って抱きしめる.あのくだりだが,フェデリコ・フェリー二という監督は,私と同じ経験をもったのかもしれぬと思い,昔は流さなかった涙がながれた.
じつはうちの脊椎破裂の子は,11歳になるがいまだに松葉杖と歩行靴の世話になっている.ある日,とつぜん妻に靴の中に何か入っていて痛いと訴えた.くるぶしから先が死んでいるはずの子の足が,痛覚を訴えることはめずらしかったので,妻はすぐ靴をぬがしてあらためてみた.栂指の爪大の小石があった.翌日から妻は,子が枕もとに置いて寝る歩行靴に,ないしょで小石を入れることにした.子はしかし,それっきり痛覚を訴えなかった,妻は毎日,石を大きくしていった.けれど,子は知らん顔でいた.いくつぐらいの石を妻は拾ったろうか.道を歩いては拾ったといった.彼女は,毎日,石をとりかえて子とならんでまどろんだのである.その日々に小石の生命のことを考えたと私にいう.じつは,フェリー二監督の「道」をみたのもこの妻と一しょの茶の間における深夜だった.
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