ひろば
映画「MINAMATA—ミナマタ—」
山下 雅代
1,2
Masayo YAMASHITA
1,2
1社会福祉法人こぐま福祉会こぐま学園
2熊本県立芦北支援学校
pp.1494
発行日 2022年12月15日
Published Date 2022/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551202894
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「水俣」と聞いて,何を想像されるだろうか? すぐに返ってくる答えは「水俣病」であろう.筆者は熊本県水俣市出身であるが,修学旅行や地元の高校を卒業した際に,「どこの出身ですか」と問われて,「水俣です」と答えると,露骨に嫌な顔をされてきた.水俣病の実態を知らないほかの地域の人々には,間違った知識や差別感があり,高校時代から水俣を離れたい気持ちが強かった.しかし,「水俣病」という重圧感が自分自身にのしかかってはいたものの,筆者が理学療法士になろうと思ったきっかけは,父が水俣病の患者と接することが多く,理学療法士になってそのような対象者に関与することは,やりがいのある仕事だと思ったからである.
水俣病は,新日本窒素肥料(以下,チッソ)水俣工場から排出されたメチル水銀化合物に汚染された魚介類を食べることによって起こった中毒性の神経系疾患であり,1956年に公表された.その主な症状は,特定の神経に損傷を来すことによる感覚,運動,視覚・聴覚に関連する機能不全で,頭痛や手足のしびれが起こり,味や熱さがわかりにくくなる.さらに運動失調や求心性の視野狭窄,難聴,構音機能不全などが認められる.
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