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はじめに
宮城県石巻市は旧北上川の河口に位置し,漁業を中心に栄えた宮城県北東部地域を代表する都市である.東日本大震災とそれに伴う大津波は,死者3,182人,行方不明者557人(2012年2月22日時点)にのぼる未曾有の大災害となった1).
筆者が勤務する石巻市立病院は,病室から太平洋を眺望できる場所に位置し,一般病床206床,14診療科を標榜した急性期病院であり,特に石巻医療圏での消化器系疾患の治療に貢献してきた.リハビリテーション科としては,2名の理学療法士で急性期から慢性期まで多岐にわたる疾患の理学療法を行っていた.しかし,マンパワー不足から在宅患者への対応が厳しく,また行政保健師等とかかわる機会もなかったため,地域リハビリテーションの視点はもっていなかった.公的職員であっても医療技術職は病院内での業務が最優先であり,地域の保健活動を同時に考えている病院管理者は少ないと思われる.
当院は,東日本大震災による大津波により,すべての医療機能が停止した.被災直後,病院内には入院患者153名,職員233名,見舞者および避難者を合わせた452名がおり,完全な孤立状態であった.そのうち入院患者については,災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team:DMAT)のドクターヘリと自衛隊の救護ヘリにより移送を行い,4日後の3月15日に職員の脱出を完了した1).
震災から4年近くが経過し,現在はプレハブ診療所で理学療法士1名体制での訪問理学療法,被災者の相談支援や運動教室の実施,地域ケア会議への参加等を行っている.本稿では,震災後,多くの支援者との出会いや,応急プレハブ仮設住宅(以下,仮設住宅)に住む被災者とのかかわりから学んだことを述べたい.
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