特集 病院と日本復興
東日本大震災におけるDMAT活動と課題
小井土 雄一
1,2
,
近藤 久禎
1,2
,
市原 正行
1
1厚生労働省DMAT事務局
2国立病院機構災害医療センター 臨床研究部
キーワード:
東日本大震災
,
災害医療
,
DMAT
,
広域医療搬送
,
防ぎえた災害死(Preventable Disaster Death : PDD)
Keyword:
東日本大震災
,
災害医療
,
DMAT
,
広域医療搬送
,
防ぎえた災害死(Preventable Disaster Death : PDD)
pp.48-52
発行日 2012年1月1日
Published Date 2012/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541102179
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現在の日本における災害医療体制は,阪神・淡路大震災の教訓に基づき構築された.阪神・淡路大震災では6433人が亡くなられたが,そのうち500人は防ぎえた災害死(Preventable Disaster Death:PDD)の可能性があったと報告されている.その原因は医療面に特化すると4つ,すなわち,被災現場で急性期に活動する医療チームがなかったこと,被災地で中心的な役割を担う災害医療に長けた病院がなかったこと,重症患者の後方搬送・被災地外への搬送が行われなかったこと,病院間あるいは病院と行政を結ぶ情報システムがなかったことである.これらを教訓に,国は超急性期に活動する医療チームDMAT(Disaster Medical Assistance Team)を作り,災害拠点病院を指定整備し,後方搬送においては広域医療搬送計画を策定し,情報システムとして広域災害救急医療情報システム(Emergency Medical Information System:EMIS)を作り上げた.今回の東日本大震災は,16年かけて作り上げてきたこの災害医療体制が試される結果ともなった.本稿では,東日本大震災においてこれらのシステムがいかに機能したか,DMATの活動を中心に紹介し,今後の課題について述べる.
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