新たな50年に向けて いま伝えたいこと・第11回
橋元 隆
pp.175-179
発行日 2015年2月15日
Published Date 2015/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551200131
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
高校を卒業する1966年1月に,親戚が脳梗塞で九州労災病院に入院しました.母がお見舞いに行ったときに,偶然学生募集のポスターを見つけたのです.母はその足で,誰にも相談せずに開設準備室に行き,願書をもらってきました.私は志望校の入学試験に落ち,浪人するかどうか進路を迷っていた時期だったので,母に言われるがまま受験書類を書いて手続きしたのですが,締切に間に合わなかったんですよ.一か八か連絡してみたところ,「書類が多少遅れてもいいですよ」と受験を許された.本当に偶然の出会いでした.
今でもはっきり覚えていますが,九州労災病院の体育館(元運動療法室)で行われた4月15日の開校式には,私たち新入生自身が机・椅子を運んで設営しました.そんな形で迎えたのですが,Tali Conine女史をはじめWHOから派遣されてきた外国人など,今思えば著名な人たちが大勢出席していましたし,多数の新聞社やテレビ局が取材に来ていました.入学後も連日「君たちは金の卵だ」とおだてられているうちに,WHOから派遣された外国人講師による英語での講義が始まりました.
Copyright © 2015, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.