新たな50年に向けて いま伝えたいこと・第4回
谷島朝生
pp.671-675
発行日 2014年7月15日
Published Date 2014/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551106705
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私は1960年にマッサージ師と鍼灸師の資格を取得しました.マッサージ師の多くが病院に勤務していたころで,私も就職先を求めて都内のいくつかの病院を見学しました.どの病院でも,整形外科の診察室ほどの広さの部屋でマッサージ,牽引療法,電気療法を行っていたのですが,そのなかで,まるで外国の施設かと思うほどの衝撃を受けたのが,関東労災病院でした.
まず案内されたのは理学療法室で,当時では珍しい水治療法室という大きな部屋があり,運動浴室とハバードタンクが設置されていました.また,学校の体育館ほどの広さがある回復訓練棟では,たくさん敷かれたマット上で脊髄損傷の患者さんの運動療法が行われていました.周囲には平行棒などの運動器具があり,20mほどの平行棒には天井から吊り下げるようなものがついていて,身体を上から支え,足にかかる負担を減らして立位や歩行の練習をするのだということでした.これにより,早期に運動感覚を回復させ,本格的な歩行練習に進めるうえで効果的なものでした.これらの施設は,九州労災病院の理学診療部長であった服部一郎先生がニューヨーク大学のラスク教授の教えを受け,3年がかりでつくられた理学療法棟に倣ったものでした.「ここはいいなぁ」と思い,人づてにお願いしたところ,無給助手として4月から勤務できることになりました.その後,幸運にも物療士の増員が決まり,同じ年の5月18日に正規職員として採用されたのです.
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