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2012年10月に日本脳炎予防接種後の急死例が大々的に報道された.このケースでもそうだが,医療事故には複雑な要因がからんでおり,過誤の有無,過誤が悪い結果(死亡・後遺症など)の唯一の原因であったのかなど,すぐには結論が出ないことが多い.しかし,被害者にとっては「予期しない悪い結果」の原因は人為をまず疑うのは当然であろう.もし初期対応が不適切であると,加害者vs. 被害者の対立構図が生じ,訴訟に至ってしまう.しかし,医療訴訟に勝者はいない.信頼を裏切られた患者家族だけでなく,疑われたうえ「訴訟中は何もしゃべるな」と厳命される医療者もまた苦しむ.司法解剖がされたとしてもその結果は遺族にも医療者にも知らされることはないので,再発防止にも役立たない.最終的には医学的に医療過誤とは言えないという結論で終わることも多いが,それを「医療とはもともと不確実で未熟なものであり,司法でそれを裁くには限界がある」というふうにではなく,「医療訴訟では患者側が勝つことは難しい」というように受け止められてしまう.
医療訴訟では被害者も加害者も救われない,というのなら,それに代わる医療事故の良い解決方法はないのだろうか.本書は,医療者がすぐにも実行できるいくつかの重要な提案をしている.まず,医療行為が悪い結果に終わった場合は,何をおいても,医療者側は共感のこもった遺憾の念を心から表明すべきだということ.とにかく「残念な結果に終わった」事実を認め,無念さを遺族と共有する場を持つ.次に,真実の解明のためにすべての情報を公開すること.真っ先に「ソーリー(本書での和訳は『すみません』)」と言うのは,遺族と医療者が共に死者を悼んでおり,対立しているのではないことを示すのに非常に有効だ,と著者は言う.積極的で完全な情報公開も,医療者側も同じように原因究明・再発防止を願っていることの確認になる.対立する必要はまったくないのである.
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