特集 ひとり職場の運営
ひとり職場24年
田中 耕作
1
Tanaka Kosaku
1
1佐賀県立希望の家
pp.708-711
発行日 1997年10月15日
Published Date 1997/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104851
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1.ひとり職場への序章
さしたる病気,事故にも見舞われず,1人で走り続けた24年間である.昭和45年,九州リハビリテーション大学校を卒業,先輩のいない故郷の佐賀で役に立てたらと,ひとり職場への道を歩き始めた.念願の就職はできたが,実務を継続していく経験や力量もなく,親友の紹介で大阪・大手前整肢学園山本和儀氏(現・大東市勤務)の門を叩いた.当時,山本先生もひとり職場,温かく迎えていただいたが,仕事は大忙し,悪戦苦闘の毎日であった.そのなかで,理学療法士としての専門性,職業人としての在り方について厳しく鍛えていただいた.
そこで2年目を迎えるころ,生来の田舎人,都会の生活に馴染めずジレンマに陥っていた私に,故郷佐賀から「身体障害者のリハビリテーション施設が開設されるから戻ってこないか」との誘いがあり,思いを新たに佐賀へ戻った.故郷佐賀に戻ったのは昭和47年12月,佐賀県厚生部福祉課老人福祉係に配属された(佐賀県職員としてPTは初採用であった.現在は県立病院を含めて4名,OTは依然としてゼロである.)これまでの職場とは大違い,周りの全てが行政マン,改めて新人として恐怖の洗礼を受けた.庁外用務として身体障害者更生相談所1)のほか,施設の要望を受けて県内4か所の特別養護老人ホームの巡回リハビリ指導を開始した.この間,行政内部から福祉行政のスタンスと業務の流れを体験し,県政レベルでの視野をもつことができた.また,行政マンの友人を得たことは,現在の自分にとって大きな財産となっている.
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