理学療法草創期の証言
師あり朋ありて
田口 順子
1
1神奈川リハビリテーション病院理学療法科
pp.485
発行日 1994年7月15日
Published Date 1994/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104051
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来年は日本理学療法士協会設立30周年というこの時期に『PTジャーナル』では1月から草創期の記録を連載していて,機を得た企画だと強い関心と懐かしさをもって読ませていただいている.協会の設立に多少なりとも関わってきた者の一人として,寄稿されている方々を知らぬはずはない.1月号に稿を寄せられた池田政隆先生は法律の専門家でもあって協会設立当時の定款文案の作成にはなくてはならない存在であったし,2月号の田中國則先生はリハビリテーション学院のできる以前に米軍病院のセラピスト室に見学へ連れていってくださった.その後の特例経過措置期間の延長をめぐって対立する仲になるなどとは知る由もなかった.関川博先生は先生御自身が書かれているようにほんとうに苦難の道であったろうとお察しする.協会の基盤を質実ともに築かれた方である.高橋良,下畑博正両先生とは九州のリハビリテーション黎明期当時から存じあげていた.
すっかり風化しつつある草創期の記録は協会あたりで,30周年を機に設立小史としてまとめるべきだろう.
日本理学療法士協会の育ての親は多勢いるが,生みの親はTali A Conineである.我が国で初めて設立された国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院の初代理学療法部長として就任し,教え子の第一期生が3年になって,今では到底想像もできないことだが「職場管理と運営」の授業は理学療法士協会をどのように発足させるかが講義の内容であった.放課後もConine先生を中心に,協会設立のための打ち合わせが続いた.
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