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理学療法士としての道を歩み始めた皆さんへ,上記のタイトルがもう既に臨床経験20年を超えてしまった私からのアドバイスです.
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専門学校卒業後塩原温泉へ
1983年3月末,専門学校を卒業したての私はタクシーに乗せられ宇都宮から塩原へやって来ました.大学病院へ就職することが名を成す理学療法士になる第一歩と思い込んでいた野心家の青二才は,1年限りという条件で塩原にある温泉病院へ派遣されることになったのです.「どうせならただの田舎でなく山奥へ」と開き直っていたら,本当に風光明媚なひとり職場の病院へ派遣されてしまったのです.その病院はベッド数120あまり,50人少々の職員で和気藹々とした雰囲気でした.病院東側には天狗岩が見え,街道を隔てて箒川が流れていました.また,この病院に常勤理学療法士が配属されたのは私が初めてで,運営のすべてを任されました.いつも支えていただいた専任看護師,理学療法士助手,そしてマッサージ師2名と私の計5人で理学療法部門を運営しました.院長は午後の仕事が始まったころを見計らって自家用車で私を連れ出し,温泉街へ昼食を食べに誘って下さるというおちゃめな性格の持ち主でした.宿舎が隣り合わせのこともあり,時々お邪魔してはブランディーをご馳走になりながらいろいろな話をうかがいましたが,軍隊や結婚観,砂原茂一先生のリハビリテーションへの情熱などなど人生や医療についての話が中心で,およそ仕事の話をしたことがありませんでした.出会いとは不思議なものです.山奥の勤務では週に一度大学病院へ研修にでて息抜きをさせていただき,また当時川向こうにあった国立病院の先生には患者の評価目的で来院していただき,勉強会にも誘っていただきました.大学の関連病院に所属しながら他の組織の先生方と行き来させていただき,自分を相対的にみることを学んだ気がします.温泉つきの宿舎や素朴な職員に囲まれ,結局任期を延ばして2年半働かせていただきました.しかし,20代前半の青年にとってそろそろ限界がきていたのでしょう.ちょうどそのころ,専門学校時代の教官で大学病院を紹介したにもかかわらず温泉病院に就職させてしまった責任を感じていた現在の上司が声をかけてくださり,ひとり職場の生活から一転,都会の病院へやってくることになりました.
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