けんさアラカルト
解剖介助考
川地 素崇
1
1中野共立病院病理
pp.1027
発行日 1986年8月1日
Published Date 1986/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543203828
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本年2月,日本臨床衛生検査技師会(以下,日臨技)の諮問部会である病理解剖介助業務検討部会が,解剖介助業務に関する答申を日臨技に提出しました.これによると,介助業務は検査技師の業務であり,医師に信頼される知識と技術を身につけることが大切であるとしています.介助業務については9年前の第26回日本臨床検査学会のシンポジウムにおいて,技師の介助やその範囲についての討議がなされています.その後,全国調査も行われていて,結果は『衛生検査』20巻10号にまとめられています.これに対し,厚生省の考えとして1972年10月13日医事第126号で日臨技の問い合わせに対する回答で,(介助業務は)「技師本来の業務ではなく,補助業務でもない」とし否定的見解を示しています.今回の検討部会の答申は厚生省と反対の結果となっていますが,今後この問題については十分な討議がなされ結論が出されることと思われます.
解剖の歴史を振り返ってみると,日本で記録に残っている最初の解剖は『日本書紀』で,雄略天皇の后,栲幡皇女の法医解剖(?)だといわれています.その後,大宝律令により禁止され,さらに儒教による影響で解剖は禁忌となりました.そののち西洋書の輸入や当時の主流だった五臓六腑説に疑問を抱き,親試実験を主張した古方医たちが現われてきました.その中でも山脇東洋ら数人は宝暦4(1754)年閏2月7日,京都六角獄舎で屈嘉と称する罪人を公許を得て初めて観臓しました.
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