Letter from Abroad 海外で活躍する日本の検査技師
日暮れて道遠し寄生虫予防—フィリピン2
海浪 武志
1
1(財)東京都予防医学協会検査研究部
pp.822-823
発行日 1986年6月1日
Published Date 1986/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543203775
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■ゼロからスタートした検査室
前回の終わりに触れたように,私の最初の任務は臨床検査技師,看護婦,助産婦など家族計画に携わるフィールドワーカーにセロファン厚層塗抹法を学んでもらうことであったので,まず検査室を整備することからスタートした.
県知事(実質は県助役)を長とし,県衛生部長,県人口部長,県開発部長,二つの町の保健所長,町長,そして日本側専門家によって構成されるこのプロジェクトに関する県運営委員会が招集され,検査室をどこに設置するかが討議された.討議の結果,県庁の隣にある保健所の歯科診療所兼ラボラトリーになっている県衛生部所属の建物が,このプロジェクトに関する検査室兼日本人専門家専用の事務所になることが決まった.日本側が費用を負担し内部を改装,一部を改築した.完成後名づけられた建物の名称はPOPCOM/JICAプロジェクトプロビンシャルラボラトリーという長いものであった.この新装なった検査室で,各地からの技師などに対してトレーニングが始められたのは1984年1月半ばであった.
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