文豪と死
泉 鏡花
長谷川 泉
1
1医学書院
pp.944
発行日 1977年12月1日
Published Date 1977/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543201528
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泉鏡花(1873〜1939)の本名は鏡太郎,金沢市の出身である.10歳の時に29歳の母と死別した.鏡花文学のなかに流れているエディプス・コンプレックスは,美貌なこの母への思慕に出たものであった.
鏡花の描く女性像には,大別すると二つのタイプがある.清純な,あえかな風姿のお嬢さんタイプと,男とはり合って一歩も引かないいきな女性のタイプとである.後者には花柳界出身の妻の影響があろう.鏡花は上京後,硯友社の総帥であった尾崎紅葉の門に入り,玄関番として文学の修業につとめた.紅葉は鏡花の文才を認め愛弟子としてよく指導した.しかし鏡花が神楽坂の芸妓桃太郎と恋仲になって同棲したことを怒って,これを許さなかった.やむなく桃太郎は泉家をいったん去った.鏡花が桃太郎と正式に結婚したのは紅葉が死んでからであった,すず夫人がそれである,鏡花にとってはきびしい師匠と愛人との間の板ばさみになって長い間苦しんだが,そのことは「婦系図」のなかに反映されている.
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