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はじめに
戦後まもなく産声をあげたわが国の臨床検査は,今日までの約半世紀の間に「医療のなかで不可欠な存在として,揺るぎない立場を確立した」と,臨床検査技師(以下,技師と略)のほとんどは確信し,この状況は当分変わることなく続くと思っていた.2001年の医療法の部分改訂は検査技師にとっては正に青天の霹靂であり,それまで貪ってきた惰眠が脆くも破られた瞬間であった.2001年のこの出来事以来,医療現場における臨床検査の立場は大きく変わり始めたが,とりわけその変化は首都圏で顕著であり,民間の大学病院のほとんどで臨床検査室の大幅な縮小や外部委託化を進め,さらにその流れは独立行政法人化された国立病院にまで及び始めている.この影響が早晩地方にも及ぶことは避け難いが,既に外部委託された検査室や,あるいは「解雇」された技師を除いて,大多数の技師にとってはまるで「対岸の火事」であり,この災厄が「臨床検査室崩壊に繫がる危機」や「自分自身の人生設計を狂わせる危機」とは受け止められていない.
国民皆保険制度により国民の誰もが高度な医療を平等に甘受できるシステムによって世界屈指との評価を受けた日本の医療制度は,健康保険制度の崩壊とともに急速に負の方向に進みつつある.健康保険は近い将来,われわれ国民の知らないうちに水面下で民間移行されるであろうし,医療の方向は“貧者切り捨ての米国の制度”を目指していることも薄々ながら感じ取れる.例えば数年前からある種の御用学者が,“EBM(evidence based medicine,根拠に基づく医療)”や“クリティカルパスの導入”を医療の理想のように喧伝してきたが,冷静に考えればこれらは医療費を低く抑えるための狡猾なレトリックである可能性が高い.犯罪捜査と同じで“EBM”や“クリティカルパス”を導入することで誰が得をするのかと考えると,その黒幕が誰であるのかがわかる.まず高い保険に入れない患者は保険額相応の医療しか受けられなくなるし,医師は最も大切な診断や治療に関する裁量権を失う.病院経営者も契約した保険会社の意向に従わざるを得ず,実質的な経営権は保険会社に移される.つまり“EBM”や“クリティカルパス”の導入は,患者,医師および病院経営者のいずれに利するものではなく,唯一支払い側の保険会社側のみが利益を貪るシステムであることがわかる.
近未来に展開される医療の方向を決めるこの一連の戦略は,わが国を属国程度にしかみていない某国が,将来日本の医療そのものを牛耳るために打った布石であったとしたら,われわれがおかしいと気づいたときには横文字の保険会社に席巻され「酷評されている某国型の医療体制がそのまま」日本の医療制度となっている可能性が高い.2001年の医療法一部改定が,単に規制緩和を目的としたことではなく,わが国の優れた医療システムそのものの解体を目論んだ戦略の一環として行われた可能性を否定できない.今この流れを止めなければ,“国民に優しい医療”の壊滅は避けられない.
「病院内臨床検査室の解体」がたとえ“仕組まれた策謀”の一環として行われたと仮定しても,病院内臨床検査室を自前で運営してこれまでさんざん利益を享受した病院経営者や臨床医が「検査室解体」には反対せず,むしろ解体された検査室に批判を集中させたのは何故だったのか? 検査室にはその批判を受けなければならない理由はあったのだろうか? その理由を究明しなければ,検査室を内部から崩壊させた原因を正しく把握できないし,病院内臨床検査室の再生はおぼつかない.
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