コーヒーブレイク
中学恩師群像
屋形 稔
1
1東新潟病院
pp.460
発行日 1994年4月15日
Published Date 1994/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542901940
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戦後学制が変わるまでの旧制中学は5年間であったが,この間の生活をふり返ると懐かしさが不思議なくらい蘇る.新制の中学と高校をミックスした期間で,上級の旧制高校,高専,大学予科などに進む人は今とは比べられないくらい少数であったが,この5年間でおおかたは大人へと成長したのである.特に夏目漱石の「坊ちゃん」に見るような教師との人間関係が言うに言われぬ精神的成長の中心になっていた.専門教育でないから教師は生徒と全人的な接触に熱意を燃やし,生徒は先生の能力をときにひやかしたり馬鹿にしたりしても心の底では敬愛の念を抱いていたのである.
私の中学も福島県南の小さな城下町にあったが,戦時中に送った5星霜はその後の他郷での学生生活に勝るとも劣らぬ充実した年月であった.校長のO先生は難しい話はしないで毎朝全校生徒を集めては,タクトを持ち出して口の形を空中に書きながらアイウエオの発音の練習をさせるのが一日の始まりであった.ズーズー弁,特にイとエの混同をなくさせようという強い意志で,あまり実効はあがらないのに涙ぐましい汗だらけの奮闘であった.国語漢文のK先生は検定試験で教職に就いたという噂であったが根っからの文学好きで,口角泡をとばして朗々と文章を朗詠する態度は,われわれをひきずりこまずにおかなかった.
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