Coffee Break
初めての欧州旅行の折Latvia訪問の機会を得て
佐々木 禎一
1
1元札幌医科大学附属病院検査部
pp.1171-1172
発行日 2010年10月15日
Published Date 2010/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542102422
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1967年6月22日,私は初めての欧州訪問のため,羽田空港をJL-SU441便のAerofloat(元ソ連の長距離爆撃機だったという乗り心地の悪いゴツイ4発のプロペラ機で,当時JALと共同就航していた)で出発した.その後,新潟~シベリア(Khabarovsk,Baikal湖上空など)を経て,約9時間余の飛行でMoscowに到着,厳しい入国手続きの後,やっとHotel Ukrainaに泊まった.翌日は一方的に組まれたスケジュールに従い,観光バス“かもめ/チャイカ”で,日本語のできるガイドと3名の女性アシスタントに案内されて,Moscow市内観光をした.
その際,たまたま私は“今回バルト3国(Latvia,Lithuania,Estonia)に外国人にも入国可能となった”ことを耳にしたので,当初のMoscow~Leningrade経由北欧入りの旅程を急拠変更し,Latviaの首都Rigaへ向うことにした.そもそも私がバルト3国に関心を持ったのは,1934年米国に留学した折のことで,これら3国から亡命したとされる留学生達と知り合い,彼らの母国が旧ソ連から多くの迫害を受けた悲劇的過去を知ったからであった.
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