Coffee Break
若くして逝った旧友N君が世話になったと枕元に現れる
佐々木 禎一
1
1元札幌医科大学附属病院検査部
pp.560
発行日 2009年5月15日
Published Date 2009/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542101988
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1941(昭和16)年から小樽中学同期生であったN君は眉毛の濃い好男子であったと記憶している.中学校の授業で先生が「誰か坊さんをしている家があるか?」と質問をしたことがあった.この時N君が手を挙げたが,結局何か感違いしたことがわかり皆の失笑をかった.それ以来N君は“坊主(ボンズ)”というあだ名となったが,ここではN君と表現することとする.
さて,われわれの中学生活は「大東亜戦争」と重なり,3~4年生の頃には軍関係の学校や一部上級学校へ進学したり,また室蘭の軍需工場へ終戦まで動員されたり,その後の進路も不詳だった同級生も少なくなかった.N君も当時新設された樺太医学専門学校へ行ったとの情報を耳にした.しかし,終戦とともに樺太医専はもちろん閉校,その結果N君も帰道し,医学への道をやめ銀行員として元気にやっていることも知った.
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