増刊号 日本の病院建築
国公立的病院の建築
碧南市民病院
久米建築事務所
,
名古屋大学柳澤研究室
pp.51-55
発行日 1991年11月20日
Published Date 1991/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541901067
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長年の市民の夢「市民病院」
碧南市は岡崎・安城・刈谷・西尾の各市に囲まれた人口約6万5千の都市で,市民は長い間市民病院を希望していた.正式な陳情は昭和37年である.現在地が決定して,柳澤忠が祖父江逸郎氏(当時名古屋大学医学部教授)・山元昌之氏(当時日本病院管理学会会長)とともに基本計画の作成を依頼されたのが昭和50年である.当時,国保請求伝票を分析し,ハフモデルで診療圏を予測して病床規模を想定し,類似病院の運営状況を調査して経営水準を想定し,1床当たり43m2の建築計画をまとめた.計画は昭和58年まで中断し,再び診療圏調査(市民医療実態調査を全市10%世帯で行い97%の回収率)からやり直し,地元医師会の臨床検査センターを併設した330床の総合病院の計画がまとまり,1床当たり66m2,総工費72億円の建築が63年4月に竣工し,5月に開院した(院長:吉井才司).
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