発行日 1949年7月1日
Published Date 1949/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541210137
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我々病院の事務に従事する者は,何を目標に仕事をすればよいだろうか。患者へのサービス,これが最大にして最終の問題である。患者にとっては氣持よく氣輕い,治療を受けたり,入院できたりすれば,それ以上の望みはない筈である。所が此の簡單な問題も,經費の點を考えれば仲々簡單には行かぬ。金さえ使ってよいならば,今は戰爭中と異って,いくらでもよい設備をする事も出來るし,いくらでもよい食事を用意する事も出來る。我々もアメリカの樣に金はいくらでもつかつてよいから出來るだけの氣持のよいサービスをやつて見ろという研究をやるのであればどんなに愉しい事だろうかと思う。所が現實の日本では二三の病院を除いては大体入院料は,健康保険の丸公である。20點,約200圓を中心にして,その範圍でいかなるサービスが出来るかという研究をせねばならない。同じ200圓でも上手に使うのと下手に使うのとでは,300圓にもなり100圓しか使えぬと云う事もあり得るだろう。これは經濟學の問題であり經營學の問題である。先日來朝したデヴィソン博士も云われた樣に,醫療事業は,其の経費の面から見て,五大産業に次ぐ物であると云う。其の根幹をなす物は病院經營であり,その科學的検討は,他の工場或いは銀行經營の共に,決しておとっていないという。我國ではどうして此の様な研究が行われなかったのだろうか。答えは簡単であって病院はあまりにもうかり過ぎたか,あまりにもうけなくてよかったからである。もーつの理由は病院經營体が中世紀的のままで近代化されなかった所にある。
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