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「常に病む者と在る医療」を推進天理よろづ相談所病院 柏原 貞夫院長
今中 孝信
1
1天理よろづ相談所病院総合診療教育部
pp.1004
発行日 1988年12月1日
Published Date 1988/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209425
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天理よろづ相談所は昭和10年に天理教団により人間の苦しみを救済することを目的に設立された財団法人で,病院はその機能の一部である.
現病院は昭和41年に再発足したものであるが,柏原先生はそれに先立つ昭和36年に新病院建設のために着任され,5年余,新病院の基本構想,設計,設備,医療機器などの立案実施に心血を注がれ,初代院長山本俊平先生(京大名誉教授,現名誉院長)と—丸となって当時東洋—と称せられた高度先進医療を行う病院をスタートさせられた.以来副院長(腹部外科部長兼任),病院長と病院発展の歴史を生き抜いて来られた.院長職は既に10年以上務められ,その間当初の予定の1,000床の病院を完成された.また,独自の構想に基づいて作られた総合診療およびレジデント制度は,先生をはじめ数多くの留学経験者の衆知を集めて作られたもので,病院の「病人中心の医療」のポリシーに深く根ざしたものである.さらに,臨床と研究の融合を目指して天理医学研究所改革3か年計画を主導され,大学に劣らぬ研究ができる内容に改善され,今後の臨床研究に一段と深みを加えることとなった.
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