小特集 医療施設間連携の試みと実践
秦野・伊勢原医師会と東海大学病院の連携
正津 晃
1
Akira SHOTSU
1
1東海大学医学部
pp.129-130
発行日 1983年2月1日
Published Date 1983/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207947
- 有料閲覧
- 文献概要
東海大学医学部の発足が正式に決まったのは,昭和47年秋であった.そのころ,伊勢原市の現在地に医学部・病院を作るについては,秦野・伊勢原医師会をはじめ,近隣医師会と大学本部の方々の間にいろいろ折衝があったと聞いているが,詳細は知らない.伊勢原市は人口わずか7万,秦野市は12万で,すぐ北は丹沢の山々である.近隣の平塚・厚木を加えても,4市合計人口56万に過ぎない.ここに病床1,000床の大学病院ができることは,地元医師会としてたやすく受け入れられることではなかったと思う.恐らく一部には強い反対意見もあったであろう.
筆者の父は開業医であったから,地区に大病院が進出してくる計画と,これに対する医師会,住民の反応はよく家庭の話題になっていた.だからこれに対する開業の先生方の不安は,筆者には身にしみて分かる気がしていた.こんな大きな病院ができたら,地元の先生方は大減収になるのではないか,大学病院側の一員としても心配であった.
Copyright © 1983, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.