新 病院建築・58
日産厚生会玉川病院の設計
大野 寛
1
1吉村順三設計事務所
pp.889-896
発行日 1982年10月1日
Published Date 1982/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207862
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病院の沿革
日産厚生会玉川病院の発祥は,昭和16年鮎川義介氏に依り,社会事業の一環として,千葉県佐倉に,結核撲滅を目指した佐倉厚生園の設立したのに始まる.結核の早期発見早期治療のテスト施設で,多くの患者の快癒を見た結果,東京都内にも必要性有りと言うことで昭和28年3月に多摩川の丘陵地で当時,閑静な環境であった瀬田に敷地約1万坪を求め210床の病院を開設した.それを土台として,昭和29年には60床,昭和35年には30床を追加し,計300床,昭和47年に,総合病院となった.
戦後新薬の発見により,結核患者は,昭和30年代に入ると,治療効果てきめんとなり減少してきた.その間に,成人病—高血圧,糖尿病—,消化器癌,肺癌,それに本来の自然気胸の診療研究を重ねた.更に東洋医学の研究,人間ドック,集団検診,救急医療の諸機関を加えて,入院患者のみでなく,地域住民の診療に多大に貢献してきた.
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