特集 幹部間リレーションズ
幹部の分担と連携
院長と事務長
飯島 聖人
1
1佐久総合病院
pp.738-739
発行日 1979年9月1日
Published Date 1979/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206955
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私どもの農協病院は,もともとが無医村的環境を克服し,農村の医療と農民の健康を守るために設立された.
山の中の辺鄙なところであっても,人の生命の尊さには変わりはないのだから,都市にも負けない医療設備と技術陣をもたなくてはならないと確信している.このことは農民から課せられた任務でもあろう.私どもの病院は,農民が主体となって設立したものであり,いきなりこのような医療設備が出来たわけではない.若月院長が病院開設の1年後,昭和20年3月に東大から赴任された時は,県内の製糸工場の建物を移転した障子張りの病棟であったというのだから全体の施設も想像される.医師2名,全従業員が10名ほどで,20床の病室には入院患者が一人もいなかったという.長野県南佐久郡の山の中の人口5千人に満たない小さな町で,朝早くから外来患者の診療と,夜遅くまでの手術など,日夜を惜しまない診療活動でたちまち入院患者は満床になった.病院にみえた患者を治療することも大事であるが,更に一歩進んで村の中に出かけて,病気を早期に発見することが重要であると院長は赴任の数か月後から,病院の従業員と一緒に休日を返上して自作の演劇,紙芝居,指人形などを持って村の中に出かけ,健診のみならず,衛生教育の啓蒙に努められた.(岩波新書,若月俊一著,「村で病気とたたかう」より)
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