人
中野は和良村で神様になった和良村国保病院院長 中野重男氏
市川 孟
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1名古屋掖済会病院附属埠頭診療所
pp.728
発行日 1979年9月1日
Published Date 1979/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206951
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中野重男君(65歳).綽名を「毛」と称する.毛沢東の毛でなく陰毛の義である.愛知一中の頃,2年生全員の水泳合宿の折,やや早熟の君の一物が黒々と繁っていたことから即座に「毛(け)」という名で呼ばれるようになり,50余年経た今も同窓会の時など昔の悪童連中はいとも心安く『おい,毛』と呼び彼もしごく自然に『なんじゃい』と返事するような人柄である.
彼は終戦を東満の延吉陸軍病院で迎え,翌昭和21年の初夏,国民党と吉林で戦った八路軍の戦傷患者が数百人,汽車の油煙と蛆だらけになって収容所の病院に転送されて来た時,それまで入院していた日本人の傷病兵と一緒に民間人となった.その後有志で延吉市内にバラックの大衆百貨店を開いて,その利潤で診療所を開き,日本人患者の診療に当たり,患者の大部分を苦労して北鮮の港等から日本へ送還したという.小生は八路軍(中国人民解放軍)の後方病院勤務となって中国各地を移動し彼と別れ別れになったが,昭和28年夏,相前後して舞鶴に引揚げた.
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