病院の窓
病院管理の超科学的側面
山本 善信
1
1兵庫県立柏原病院
pp.17
発行日 1977年9月1日
Published Date 1977/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206319
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私たちの奉職する柏原病院は,いわば丹波という僻地にあるだけに,かつては慢性の看護婦不足に苦しんできた.看護婦の平均年齢が進み気鋭若年の看護婦を迎えることの不可能が見越されたので,昭和46年度に構内に3年制の高等看護学院を設立することになった.限られた正看護婦の中から3名を選んで講習を受けさせ,他力をかりずに専任教員を充足した.昭和48年には,厳しい看護婦不足に遭遇したが,全員の理解ある頑張りによって持ちこたえ,今では病院の約120名の看護婦のうち半数近くが卒業生によって補充され,看護部の運営は羨まれるほどに安定してきた.よくあれほどの無理が凌げたものと,今では全く有難いと思っている.
学院を初める前に私は,それまでの高等看護学院卒業生が,えてして理論に溺れ,臨床看護を志向しないことを懸念していたので,本学院の発足に当たっては,できるだけ心の豊かな視野の広い看護婦を育成したいと念願した,そして人格の尊重とその錬磨育成とを主な実践理念として掲げ,職員ともどもに向上に努める姿勢をとった.病院の職員食堂を拡張して学生の食事を職員と共に摂らせることとし,職員にはすべて,彼女たちのよき先輩でありよき友であってほしいとお願いした.あたかも柏原病院では日頃から職員間の心の交流が豊かで日常の挨拶が淀みなく行われていたので,彼女たちにその大切さを教えると,純真であるだけに驚くほど立派にそれを身につけてくれた.
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