一頁評論
巨大病院社会の中の無医・無看護地区—あらためて「病者のための人権宣言」を思いおこして
高橋 孝文
1
1宮城県整肢拓桃園
pp.49
発行日 1976年3月1日
Published Date 1976/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205849
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ユーモラスで,しかも鋭い評論で茶の間の主婦たちに人気の高かった医事評論家の石垣純二さんが1月30日に腎不全で亡くなられた.昨秋,私の友人の結婚式の仲人をされた時,私は親しくお目にかかる機会を得て,「うれしいことです.あなたはわが党の士です.心身障害児のために存分にご活躍下さい」との励ましを頂いたことは,私の脳裡に深く刻み込まれるものとなった.披露宴(カクテル・パーティー)で,杖を手にして立たれスピーチをされたあとは,終始椅子にかけたまま,参会者と楽しげに話を交しておられたが,今にして思えば,その時,石垣さんは病の小康をおして媒酌の労をとっておられたのだろうか.心からご冥福をお祈り申し上げたい.
医学や医療福祉の世界は,本来,病人をいやし,救うための重責を担っている.それにもかかわらず,患者の扱いの上では,人権にかかわる社会問題として取りざたされる報道があとを絶たない.医療保護下における患者の人権が問われた朝日訴訟もそうであったが,水俣病,サリドマイド訴訟や,最近の大腿四頭筋拘縮症の多発,各地に起こった救急患者タライ回し死亡事件など,それぞれにさまざまな社会的センセーションを巻き起こしている.
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