人
真の看護(みとり)の人—井深八重子さん 神山復生病院総婦長
松村 菅和
1
1カリタス・ジャパン(全国カトリック社会福祉協会)
pp.16
発行日 1976年2月1日
Published Date 1976/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205814
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最近は看護ということに,学問的体系,裏付をされる努力,研鑚がされている.結構なことだが,ともすれば理論倒れで,真の看護の意味と心が失われて行く危険性がないでもない.そのような時に,思い出されるのは,いつも温和な慈愛に溢れた井深さんの人となりである.日本でも最古の部に入る神山復生病院(ハンセン氏病院)に,青春とその生涯を捧げて来た人である.井深さんのここに働き始めた動機は小説的である.患者と誤診されて入院したが,それがわかって退院させられた.彼女は,わずかな入院生活の中で,"真のみとり"の必要性を見たのである.次の日から井深さんは篤志看護婦として申し出た.同志社英文科卒の彼女にとって,大きな転換であったに違いない.その日から今日までの献身に,ナイチンゲール章,教皇特別勲章を始めとし,同志社大学名誉博士号,その他数々の賞が贈られたが,彼女にとって「神と人々への奉仕」ができるということが,最大な喜びであり,最高の誉れであろう.看護婦不足,待遇改善,地位向上などが叫ばれているとき,彼女は言う.「確かにそれらの問題は大事なものです.しかし,看護婦自身が,それに相応しいものでなければ,また質的に向上し,みとりの心がなければ,社会は認めてくれません」.
一言で,看護一筋54年間(大正9年以来)というが,井深さんの場合は特別である.
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