グラフ
村ぐるみの健康自衛—豪雪のなかの沢内病院を訪ねて
pp.13-19
発行日 1974年2月1日
Published Date 1974/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205261
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人工衛星が飛ぶ時代に虫けらのごとく死んでいった村民の姿.雪や貧困や医師不在のためだった.いまの沢内村にはそんな悲惨さはない.豪雪は相変わらずだったが,除雪車が道を確保してくれる.マイクロバスが患者の送迎をたゆまずやる.急患や往診には道なき道を越えて病院のジープや雪上車が出動する.寒冷僻村を象徴する‘雪囲いをつけたワラぶきの,昼なお薄暗い農家’もほとんど消えた.跡には明るい‘豪雪モデルハウス’の集落ができ,徴塵の貧しさも帯びていない.
ヘルス・ケアとメディカル・ケアを統一した‘沢内方式’は与えられたものではない.生存権を村民みずからの責任において獲得せんとした長い苦闘の歴史の産物なのである.病院は,与えられた条件・制度の中で最良の包括医療サービス提供を工夫した.村当局も自治権の最大限の行使を試みた.この村民・病院・行政の一体化こそ,昭和35年当時,加藤院長,深沢村長(故人)が求めていた医療再建の道標であった.
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